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「点と線」の香椎海岸 091120

待ち時間潰しに誘われて福岡の香椎海岸のロケ地を訪ねてみた。
1985年上映映画の撮影時は多分、玄界灘の波しぶきが見られたてあろうが
今は埋め立てられてしまい、殆ど面影も見えなかったのが残念だ。
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過去の同級生修学旅行
09津和野・萩・青海島・秋吉
08大和・奈良
07京・近江
06道東
05宗谷
04美瑛・旭岳
by hoshigarasu2 | 2009-11-27 12:14 |

小樽シャコ祭り 091122

今日は昨日と違って穏やなので大好きなシャコを食べに大好きな小樽に行ってきた。
日ハムの優勝パレードがあるとは知っていたが以前行った時は寒いのと人出の多さに閉口したのでパレードはTVで見る事にした。
小樽シャコ祭り会場は元郵船前の広場で行われていた。
長蛇の列の一つにとり合えず並んだがシャコの味噌汁だった、これだけ並ぶから無料かなとセコイ小生は思ったが1.5匹入って200円だと整理に現れた漁協の人から聞いた。
右側が焼きシャコ、左側が茹でシャコの販売列だとテントの側に行って分かった。
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シャコ味噌汁
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焼シャコ
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茹でシャコ
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シャコパエリア
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シャコの味噌汁と焼きシャコそれぞれ美味かったがそれぞれ15分?位食べるのに掛かり、シャコパエリアに至っては待ち時間はそれらを遥かに上回りそうなので目と鼻で賞味する事で我慢した。
茹でシャコは何時も行く南樽市場でとタクシーに乗ったが何と休み、同情したドライバーがメーターを止めて新南樽市場に案内してくれた。
何とシャコはどの店も売り切れだった、シャコ祭り会場の混雑に辟易したお客が殺到したらしい。
辛味大根と紅シャケカマを買って退散した。
ドライバーさんから漁師から分けてもらうシャコを軽く凍らせて刺し身にすると美味いと聞いて、生唾がでた。
一度食べてみたいものだ。
by hoshigarasu2 | 2009-11-22 19:42 | イベント

09級友との旅① 下関 091116~17

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6回目の旧学友との旅=津和野・萩・秋吉巡り=は下関の前泊から始まった。
6時過ぎに宿に入り、仲間が調べてくれていた「うまくて安い店」でふく(下関ではふぐとは呼ばない)を賞味して翌朝、春帆楼、赤間神社、唐戸市場、関門海峡の潮の流れ観光した。
紅葉も終わりの平日、不景気のせいかゆっくりと見物できた。
関門橋を眺め降ろした「火の山展望台」への有料登山道は何時の間にかタダになっていた。
ラッキー!
関門橋
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ふく
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唐戸市場
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やぶれかぶれ
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by hoshigarasu2 | 2009-11-21 21:26 |

09級友との旅② 津和野 091117~18

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2時過ぎに、山あいに白壁と赤瓦が続く城下町ー山陰の小京都ー津和野に全員が揃った。
生憎の霧雨模様であったが傘を差して鷺舞のモニュメントと殿町通りの掘割の鯉と注連縄の巻かれた古木の出迎えを受けた。
出迎えといえばこの町の小学生の礼儀正しさと親切なのに感激した。
見知らぬ旅人にもこんにちはと言葉を掛けてくれ、道を訊ねたら何と門前まで案内してくれた。
名産の石見和紙で作った「鷺舞」の人形を探したが見付からず、作者が亡くなり、後継者もなく途絶えたそうだ、残念だ!。
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太鼓谷稲荷神社
千本余りの朱塗りの鳥居のトンネルをくぐってお参りした、登り坂で草臥れた。
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西周と森鴎外の旧宅を訪ねてから殿町通りの喫茶店で一休みをした。
ついでこの町に生まれた安野光雅画伯の作品を展示した町立安野光雅美術館に廻った。
司馬遼太郎の街道を行くの挿画程度しか知らなかったが科学・数学・文学にも造詣が深く、関連する作品も多く展示されていた。
宿への途上に何と4軒の造り酒屋があった、一軒で文字通りの試飲をし、お土産に純米吟醸酒を求めた。
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翌朝8時の萩へのバス出発前に殿町通りを散歩した。
宿の主人によるとこの秋一番の寒さだそうで遠くの山には雪も降ったとか、
持参した手袋が役立った。
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源氏巻きと称するはこしあんをカステラ状の生地で巻いた、あん巻の看板が町中に溢れていた、津和野藩主亀井茲親と吉良上野介とのもめごとを収めた家老多胡下記が、吉良家に送った進物の中にあった事に由来するそうだ。
自然何個か試食したがそれぞれの店が味を自慢しているというが違いが分からなかった。
津和野郊外をバス車中から
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by hoshigarasu2 | 2009-11-21 19:54 |

09級友との旅⑥ 秋吉台と秋芳洞 091120

旅行最終日は萩からタクシーで秋芳町に向う、小1時間で着いたが一人2500円だった。
4人の旅では何回もあったが時間節約と割安になるので助かる。
秋吉台
下関の火の山展望台でもそうだったが秋吉台は昔は有料道路だったが今は一般道になっていた。
朝の9時という時間のせいもあるのかガラ空きだった。
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秋芳洞
エレベーターで地下100mまで一気に下がり、秋芳本洞と初めて黒谷支洞も見た。
黒谷支洞は天井も高く見応えがあった。
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見物の後コーヒーを飲んだ土産物屋の女将がこぼしていた。
この地域は特別天然記念物に指定されているので建物・看板の増改築が一々申請許可を得ないとできない。
ホテルの駐車場の砂利に水捌けの為に水路を作ったらクレームが付き、アスファルト舗装は認められなかったそうだ。

おまけ
解散した新山口駅前の種田山頭火の歌碑
山頭火が小郡に其中庵を結んだのは、昭和7年9月から昭和13年11月までの6年間で、山頭火51歳から57歳までの晩年の時期である。
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新山口駅前のホテルで遅い昼食を食べ・乾杯してから、千葉佐倉、逗子、仙台そして札幌に来年青森での再会を誓って散った。

冗長な旅行記にお目通し頂き、有難うございました。
by hoshigarasu2 | 2009-11-21 19:26 |

09級友との旅⑤ 青海島 091119

北長門海岸特定公園の海上アルプス「青海島」を訪れた。
晴天の予報だったが生憎風が強く遊覧船は外海に出られず、仙崎港から一番近い大島をまわる1時間コースの乗船になった。
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仙崎港からバスで周囲40kmの青海島に渡り、紫津浦遊歩道を歩いた
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by hoshigarasu2 | 2009-11-21 16:48 |

09級友との旅④ 萩(2) 091118~19

松蔭神社
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木戸孝允旧宅
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菊屋家住宅
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民家庭先の花
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ホテル前ヨットハーバーの朝8時
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菊ケ浜の夕焼け4時56分
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by hoshigarasu2 | 2009-11-21 13:57 |

09級友との旅③ 萩(1) 091118~19

日本の歴史に、良きにつけ悪しきにつけ大きな足跡を残した長州藩最後の砦、萩を訪れてきた。
「あだ守るとりでのかがり影ふけて夏も身にしむ越の山風」山縣有朋が戊辰戦争時にわが故郷「長岡」を攻めあぐんだ折に陣地で詠んだ歌である。
この歌を思い出しながら今回も回った。

長州藩は関が原の乱で元就以来の蓄財の大部分を失ったがその後密貿易や埋め立てによる新田開発や塩などの殖産事業で莫大な資産を再び蓄えた。
これを原資にしてこれまた密貿易仲間?の薩摩と組んで積年の敵=徳川幕府を倒した。
吉田松陰が育て、影響を及ぼした人材は明治国家の骨組みを作り、以後日本の政治・軍事をリードした。
しかしこの輝かしい?歴史も今回の自民党から民主党への政権交代で一応幕を閉じたようだ。
萩は2度目の訪問だが景気のせいもあろうが昔の賑わいのない、普通の町に戻りつつあるように感じた。

萩城址 黄檗宗東光寺
3代藩主から奇数代の藩主夫妻の墓がある。
権力の偏在を避けるために藩主の墓所が2つに分けられたそうだ。
萩藩の初代藩主と2代から12代の偶数代、合わせて7藩主夫妻の墓は城址に近い霊椿山大照院(臨済宗南禅寺派)にある。
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萩焼
萩焼は慶長9年(1604年)に藩主毛利輝元の命によって、朝鮮人陶工、李勺光(山村家)李敬(坂家)の兄弟が城下で御用窯を築いたのが始まりとされる。
萩焼茶碗高台だけには「欠け」が付いている、殿様以外の茶碗と区別する為付けたという説があるが実際は輸送時に掛けた縄がずれない為の工夫が本当らしい。
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by hoshigarasu2 | 2009-11-21 12:53 |

ベルリンの壁崩壊20周年 091109

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今メディアではベルリンの壁崩壊20周年関連記事・番組が花盛りである。
あの頃はポーランド、ハンガリー、ルーマニア、今は分割国家になったチェコ・スロバキアとユーゴスラビアそしてバルト3国でいわゆる東欧革命が起き、毎日TVニュースやドキュメンタリーに釘付けになったものでした。
ベルリン壁崩壊3ケ月後に現地を訪れた時の様子を当時の撮影映像スキャンなどで記してみる。

壁崩壊といっても自由に往来ができるようになったという事で壁そのものはまだ残っていた。
以前は厳重に守られて西側の展望台からしか見られなかった壁(鉄条網と監視兵の向こうにあった)に人が乗り、東ドイツ兵もそれを止めず、ツルハシで欠いた壁の破片が周辺で売られていた。
壁を越えようとして亡くなった方々の映像や使われた手段等を展示した壁近くの展示館を思い出し、複雑な思いがした。

壁周りで以前は1時間は掛かったポツダム会談場へのタクシー、この時は30分も掛からずに到着できた。
世界の平和を乱す悪者ードイツ、日本、イタリアーの処置について米英ソ首脳がが火花を散らした古戦場?への2回目の訪問であった。
会談場に以前は山ほど積まれていたロシヤ語パンフに代り英仏語パンフが大手を振っていた。

サンスーシ宮殿園内の食堂では販売予定金額を売り切ったので新たな注文は駄目だと言われた、体制は代っても習慣は直ぐに切り替えられないようだった。
お陰でベルリンに戻るまで空腹を我慢させられた。

最後の最後までソ連の優等生であろうとしたホーネッカー、最後はゴルバチョフそして国民からも三行半を突きつけられた。
そしてドイツ民主共和国(東ドイツ)はドイツ連邦共和国(西ドイツ)へ1990年に吸収されて、41年で歴史から消えた。
ホーネッカー氏、最後はチャウチェスクのようにならなずに済んだ、もって瞑すべきか。

最初の3枚は出張時にパノラマ撮影機能付きのコニカで西側から撮ったものです。
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>その時に求めた破片
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東ドイツマルク硬貨
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乳幼児のミルク・オムツ代は無料、失業もなし、結構のように見えるが国民は共産党員か否かで峻別され、優遇された共産党員でも家庭に盗聴マイクが必ず設置されていた。
ドルや円を大いに稼いだマイセン窯総裁宅にもそれがあり、総裁フィヒティはそれを嫌って妻・娘と相談し、まず彼が壁崩壊1年前のフランクフルトのメッセ(国際見本市)で亡命し、その後妻と娘も次々に西ドイツに亡命した。
家族3人が自由になったのはフィヒテが亡命してから5年後の事だったと聞いた。
東西ドイツ、国は違っても同じドイツ人同士、両国民間には密かな連携組織があったそうだ。

超大国同士のその時々の思惑で同一民族が2国に分けられた例がまだひとつ残っている。
日本も津軽海峡で分割される可能性もあったが幸いにも分割を免れた、僥倖というべきか。
by hoshigarasu2 | 2009-11-10 08:16

頑張る葉・花・実・芽 091108

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午後手稲の前田森林公園へ行ってきた。
さすがに紅葉はとっくに盛りを過ぎて園内にはいろんな落ち葉が敷き詰めていた。
それでも今も枝に残る葉・花・実・芽がまだ頑張っている姿に魅かれた。
出会った子供の数より、お犬さまの数が圧倒的に多い、少子化・多犬化の時代を実感した。
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by hoshigarasu2 | 2009-11-08 19:43 | 風景


極私的写真日記帳


by hoshigarasu2

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