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2010年7月25日オタモイ訪問記  再録 20160519

オタモイ海岸は小樽市の北西部にあり、高島岬から塩谷湾までの約10kmに及ぶ海岸線の一部で、付近には赤岩山(371m)など標高200m前後の急峻な崖と奇岩が連なっている.
一帯は昭和38年ニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定され、祝津・赤岩海岸とともに雄大な景観を誇り、訪れる人々を魅了している。

ところでこの景勝地に大リゾート基地が存在したことはあまり知られていない。

昭和初期、隆盛を誇った割烹「蛇の目」(小樽花園1)の店主加藤秋太郎は小樽には見所がないという知人の言葉に奮起し、名所探勝の日々にあけくれる。
そして、ついに、古来白蛇の谷と呼ばれたこの地を探し当て、昭和11年「夢の里オタモイ遊園地を」完成させた。
その規模は当代一を誇り、ブランコ,すべり台、相撲場等の遊園施設のほか、竜宮閣や弁天食堂といった宴会場や食堂を設けた。
特に京都の清水寺を凌ぐといわれた竜宮閣は切り立った岩と紺碧の海に囲まれ、まるで竜宮城のお伽の世界のようだったという。
最盛期には一日数千人の人々で賑わったこの施設も戦争が始まると贅沢とみなされ客足が遠のき、戦後、これからという昭和27年5月営業再開を目前に控えながら火災で消失した。

現在、遊園地の跡を偲ばせるものは断崖の上に残った竜宮閣の礎石と遊歩道トンネルの部分だけである。
また、オタモイには神威岬(積丹半島)が女人禁制の頃の悲恋にまつわる子授け地蔵尊の伝説があり、今でも多くの人々に信仰されている。
(小樽市 観光案内より)

①陸上からの眺め
駐車場へ降りる九十九折の急坂車道は思ったより道が良く、10時前なのに車の台数が多いのに驚いた。
駐車場から急坂を降りて竜宮閣の礎石跡に辿り着き、おっかなびっくり足元そして遥か遠方の古平方面を望む。
竜宮閣の礎石跡から細い遊歩道を下ってオタモイ地蔵を祭る場所に到着した。
お地蔵さんのお掃除に来ていた感心な孫・親・祖母の3世代家族の後について海岸まで降りる。
足元が定まらぬゴロ石上を岩に掴まりながら移動して、窓岩方向がが見える場所まで往復した。
浪シブキを避けながらのおっかなびっくりの歩行、安寿姫と厨子王みたいだった。
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②観光船から
小樽潮まつり最終日・快晴が重なったせいか、観光船は満員だった。
相変わらず船にまとわり付くカモメが多いが岩でハネを乾かすウミウの姿も目立っていた。
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久しい懸案の一つを解消できて嬉しい、総歩行数は6700歩だった。
by hoshigarasu2 | 2016-05-21 08:00 |

四国9名城巡り ④ 松山城・湯築城跡・今治城・徳島空港 0413

重要文化財 伊予松山城
松山市の中央、標高132mの勝山山頂に本丸があり、裾野に二之丸、三之丸がある日本有数の平山城。
天守は日本で最後の完全な城郭建築と言われており、最上階からは360度眺望がひらけ、松山平野や瀬戸内海などを見渡すことができる。
日本に現存する江戸期以前に建築された12天守( 弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、備中松山城、 松江城、丸亀城、宇和島城、高知城)の1つであり、21棟の建造物が国の重要文化財に指定されている。                              映像クリックで拡大
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戸無門
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天守閣
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天守閣からの眺め
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道後公園 湯築城跡
湯築城は、中世の伊予国の守護であった河野氏が南北朝期から戦国期(14世紀前半〜16世紀末)まで、約250年間にわたって居城としていました。河野氏は、風早郡河野郷(松山市北条地区)を本拠として勢力を伸ばした一族で、源平合戦(1180〜1185年)では河野通信が源氏方として功績を挙げ、鎌倉幕府の有力御家人となり伊予国の統率権を得ました。
 承久の乱(1221年)で没落するものの、通信のひ孫通有が元冠(1281年)で活躍し、一族の力が復活した南北朝期の通盛の時(1335年前後)に河野郷からこの湯築城へ本拠を移しました。その後、有力守護細川氏の介入や一族間の内紛がありましたが、足利将軍家と結びつき近隣の大内・大友・毛利氏などと同盟や縁威関係を持ちつつ、伊予の守護としての地位を確立しました。庶子家との争いも克服し、通直(弾正少弼)は、湯築城の外堀を築き(1535年頃)娘婿の村上海賊衆(来島通康)との関係を強化しましたが、後に離反し、一族の力は徐々に衰えていきました。最後の当主通直(牛福丸)は、全国統一を目指す豊臣秀吉の四国攻めにより小早川隆景に湯築城を明け渡し、平安時代末期から戦国期(12世紀末〜16世紀末)までの、実に400年の長きにわたる河野氏の伊予支配に終止符が打たれました。
※鎌倉時代に時宗を興した一遍上人は、河野通信の孫にあたります。
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黄色の植物は「黄金まさき」
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開戦前に必ず行われたいう連歌の模様、復元された城内の一室
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今治城
江戸時代初期に築城の名手・藤堂高虎が築いた全国的に有名な海岸海城です。
3重の堀に海水を引き入れた海城(高松城・中津城と併せ3大水城)、潮の干満で水位が変わり、海水魚が泳いでいる。
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鉄(くろがね)ごもん
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史上初の層塔型(各階を順次小さくして積み上げる)5層6階の天守
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天守から  瀬戸内しまなみ海道の来島海峡大橋
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徳島空港                                                                          映像クリックで拡大
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徳島発羽田行きANA284便16:15、羽田着17:30 羽田発新千歳行き19:00ANA77便、新千歳着20:35 
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by hoshigarasu2 | 2016-04-18 07:25 |

四国9名城巡り ③ 津野山・宇和島・内子・大洲城・松山・道後温泉 0412

6時、宿泊ホテル窓から高知城
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7時45分高知出発、ツアーバス車窓からとさでん交通路面電車
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高知郊外の田植えが済んだ稲田を高速道から
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津野山布施ケ坂道の駅・四万十源流の駅
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山口県の秋吉台、福岡県の平尾台に次ぐ日本3大カルストの一つ、四国カルスト天狗高原近くの当地でもお茶の段々畑が見られた。
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高知県高岡郡津野町高野 三嶋神社の秋の大祭で奉納される津野山古式神楽
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宇和島駅前通り
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宇和島城
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天守閣から宇和海を望む
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内子の重要伝統的建造物群                                                             映像クリックで拡大
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大洲城
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初冬の肱川嵐で有名な肱川を天守閣から見下ろす
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道後温泉
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坊っちゃんカラクリ時計は、道後温泉駅の正面(放生園)にあります。カラクリ時計は、道後温泉本館の振鷺閣をモチーフにした時計で、軽快なメロディにのって時計台がせり上がり、夏目漱石の小説「坊っちゃん」の登場人物が現れます。その横には足湯があり、いつも多くの観光客が利用しています。
■上演時間・・・8:00~22:00(1時間ごと)、特別期間は30分ごと。
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18時ジャストに時報としてからくり時計が作動していた
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by hoshigarasu2 | 2016-04-17 19:36 |

四国9名城巡り ②-2 金刀比羅宮・高知城・桂浜 0411

金刀比羅宮 海の守護神で1368段(御本宮まで785段)の石段からなり、御祭神は大物主の神で崇徳天皇を合祀している。影像クリックで拡大
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御本宮
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御本宮からの眺め
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第三十二回四国こんぴら歌舞伎大芝居 
中村翫雀改め 四代目中村鴈治郎襲名披露が日本最古の芝居小屋ー国の重要文化財ー金丸座で行われていた。       
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高知城
関ヶ原の戦いの功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊は、慶長6年(1601)大高坂山に新城の築城工事を始め、慶長8年(1603)に本丸と二ノ丸が完成、入城しました。
享保12年(1727)城下町の大火で追手門以外の城郭のほとんどを焼失しましたが、宝暦3年(1753)までに創建当時の姿のまま再建されました。
その後は、自然災害や明治維新による全国的な廃城の嵐、太平洋戦争など幾度となく襲った危機を乗り越え、「南海道随一の名城」と呼ばれる優美な姿をした建物を今に残しています。
平成15年には、築城400年、再建から250年を数え、本物の城の持つ偉容が訪れる人々を今日も歴史のロマンに誘っています。
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            山内一豊公                     山内一豊公奥方                      板垣退助 映像クリックで拡大
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桂浜・竜馬像 
高知県の青年有志が募金活動を行い,当時の金額にして2万5千円を集め建立。昭和3年5月27日午後2時,除幕式を行い姿を現した龍馬像。和服姿に懐手,ブーツ姿の龍馬は,はるか太平洋の彼方を見つめています。像の高さは5.3m,台座を含めた総高は13.5m。
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ひろめ市場。
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by hoshigarasu2 | 2016-04-16 16:33 |

四国9名城巡り ②-1 高松城・丸亀城 0411

史跡高松城跡
玉藻城とも呼ばれるが万葉集で柿本人麿が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因み、このあたりの海が「玉藻の浦」と呼ばれていたことによるといわれている。
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天守閣跡
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天守閣跡から高松港を望む
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丸亀城 
亀山城または蓬莱城ともいわれ、市内の亀山に生駒氏によって築かれたものである。
生駒親正は天正15年(1587)播州赤穂から17万6千石の領主として讃岐に入り、高松城を築き、次いで西讃の鎮めとして慶長2年(1597)から丸亀城の築城にかかり、同7年(1602)に完成したが、その後一国一城令により廃城となった。
生駒家四代の後、肥前国天草郡富岡城主から寛永18年(1641)入城した山崎家治が翌年から修築に取りかかり、現代の城郭はほぼこの時代のものである。
高さ日本一の石垣に鎮座して400年の歴史を刻む丸亀城、「石垣の高さ、美しさ」から、(財)日本城郭協会が選定した「日本の100名城」にも選ばれ、花見や散歩など市民の憩いの場として親しまれています。
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天守閣から瀬戸大橋・尾道方向を望む
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by hoshigarasu2 | 2016-04-16 06:54 |

四国9名城巡り ① 千歳空港から徳島城・高松栗林公園まで 0410

新千歳空港                                                                        映像クリックで拡大c0183777_536874.jpgc0183777_5362490.jpg
羽田空港
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房総半島
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和歌山白浜
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20年ぶりの徳島空港
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徳島城 阿波・淡路両国25万7千石の大名「蜂須賀家」の居城であった、阿波の青石と呼ばれる城壁で知られる。
吉野川河口付近の中洲に位置する標高61メートルの城山に築かれた山城と城山の周囲の平城からなる、連郭式の平山城である。
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表御殿庭園枯池自然石の橋 初代藩主蜂須賀至鎮公踏み割りの伝説がある
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高松栗林公園  高松藩の歴代藩主が百年余りの歳月をかけて完成した「栗林公園」は、ミシュランガイドで三ツ星を獲得した名園です。
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by hoshigarasu2 | 2016-04-16 05:37 |

小田原ー真鶴ー熱海  3029

                                                                               映像クリックで拡大c0183777_7152641.jpgc0183777_7154430.jpg
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by hoshigarasu2 | 2016-04-02 14:10 |

「がんばろう! 東北 フェリーで行く買い出し・応援ツアー4日間」抄録 0311

東日本大地震の5年目ということでTV/新聞は一斉に回顧そして今の状況を伝えている。
原発被害を中心に今なお、進まない復興が痛ましい。

40年前に5年ほど仙台に住んだので多くの被害地を訪ねたことがあり、友人の縁者には亡くなった方もおられたので物見遊山旅を躊躇っていた。
しかし翌年の2012年8月23日~26日、道新観光の「がんばろう!東北 フェリーで行く買い出し・応援ツアー4日間」募集広告をみて夫婦で参加した時の映像一部再録です。
切ない,思いが甦ってきます。

影も形もなくなった釜石市内の「鵜住居(うのすまい)三陸鉄道南リアス線駅」跡を地元ボランティアガイドさんと視察した。    映像クリックで拡大
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駅跡の台のはるか向こうに釜石東中と鵜住居小学校が見える        以前は駅前繁華街だったc0183777_1228528.jpgc0183777_12291382.jpg
                    釜石鵜住居地区防災センターと釜石消防署鵜住居出張所の共同ビルの惨状c0183777_1538416.jpgc0183777_1538233.jpg
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花巻朝食会場「金婚漬」に掲載されていたポスター
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釜石駅前シープラザ 純米酒「海と緑と鉄の街釜石」といちご煮(潮汁に沈むウニが朝モヤに霞む野いちごに見える)を買った   
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大槌町吉里吉里港近くのバラックの中に再建されたカフェ&バー ツアーバス車中から事前注文した挽き・落としたてのコーヒーが絶品だった。c0183777_19402320.jpgc0183777_19403994.jpgc0183777_19404918.jpg
山田町道の駅 アジ2匹400円、サバ350円、とびうお2匹150円、サヨリ6匹500円旅行中なのが残念、養殖も復活してきたc0183777_19514017.jpg
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たろうちゃんハウス(宮古市田老) 近くの仮設住宅に住む方に便利な何でもありの3棟、名物の真碕ブランドのわかめを買った(復 絆 興 皆様の温かなご支援に感謝します 大きな第一歩)と印刷されたシールが貼ってある
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宮古市制作のパンフレット                                              
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上図左端中ほどの高台の6の田老第一小学校脇に立つ「大海嘯訓令碑」の文面                               

        大海嘯記念
 大地震の後には津浪が来る
 地震があったら此処に来て一時間がまんせ
 津浪襲われたら何処でも此の位い高所へ逃げる
  遠くへ逃げても津浪に追付かる
 常に近く高い所を用意して置け
       昭和九年三月  

津波モニュメントとして保存が決まった「たろう観光ホテル」・3種の防潮堤・仮設避難住宅・田老第一中学は一番最後の映像。 c0183777_443484.jpgc0183777_4435827.jpg
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宮古市制作のパンフレット
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印象に残ったボランティアの言葉

お陰さまで私どもは今は元気に暮させて頂いております、全国の皆様からご支援を篤くお礼申し上げます。
田老には3種の防潮堤防があるがこれがある為に避難が遅れたとの説もあるが少なくとも津波襲来を遅らせた効果はあった。
死者・行方不明者は防潮堤の外に家がある人や避難後に再度家に戻った人に多くが発生している。
田老第一中学では地元出身の用務員の避難マニュアルの校庭では駄目だ、山へ逃げろとの指示で全員が助かった。
田老第一中学では日頃から「自分の命は自分で守れ」との防災教育がなされているが今回も生徒自身だけでなく避難してきた老人や幼稚園児を率先誘導して山へ登り、被害を食い止めた。
この善行は数日後幼稚園児が親に中学のお兄ちゃん・お姉ちゃんに助けられたと漏らして、初めて公になった。
「海より低い場所に家を建てるな」との教訓は今回も守られず、防潮堤の外の人の被害が甚大である。
田老は今は田んぼの田に老と書いているが昔は多老だった、津波などが多いに通じ、縁起が悪いと田に変えられた。

東日本大震災における津波対策の効果に関する実態について~宮古市田老地区の報告~(財)消防科学総合センター研究員小松幸夫

田老地区の津波被害
明治三陸地震 明治29 年(1896 年)6 月15 日 人口3,745 人 死者・行方不明者数1,859 人 0.50%
昭和三陸地震 昭和8年(1933 年)3 月3 日    人口5,120 人 死者・行方不明者数911 人 0.18%
東日本大震災 平成23 年(2011 年)3 月11 日 人口4,434 人 死者・行方不明者数185 人 0.04%
(注)人口については、明治三陸地震は明治22 年現在、昭和三陸地震は昭和7 年現在(当時の残っている記録で一番近い数字)。東日本大震災は、平成23 年3 月1 日現在。

田老地区における従前からの津波対策(防災教育・啓発)
田老地区ではそもそも防潮堤は津波を完璧に防ぐものでなく、避難の時間を稼ぐものとして位置づけられ、様々な啓発を行ってきた。
特に、平成16 年に完成した津波シミュレーションでは、明治三陸津波等を想定した津波が防潮堤を乗り越えてくる映像を再現し、住民説明会等で公表された。
さらに、この津波シミュレーションを活用して、自治会などを対象にした町歩きやワークショップを行い、住民を中心としたハザードマップづくりを行ってきた。

防潮堤は、昭和8 年3 月3 日に発生した昭和三陸津波を契機に建設が進められ、昭和32 年度までに1,350mが完成した。
明治三陸津波のときの波高15mよりも低い高さは10mで、津波が防潮堤を超えることを前提として、湾口に対して直角に防潮堤を造り、沢沿いに海水を受け流す(緩衝地を設ける)ことで避難する時間を稼ぐとともに、減災することを目指した。
その後、昭和35年のチリ地震津波を契機としてつくられた第2、第3 の防潮堤は湾口に対し並行に造られ、二重の防潮堤はX字型に完成し、総延長2,433mの大防潮堤となった。
また、昭和8 年から市街地は碁盤目状の道路整備を行い、町内どこにいても山に向かって真っ直ぐ避難できるような町並みと
なった。また、交差点の隅切りにより見通しを改善し、安全に避難できるようにした。
避難路や誘導標識の整備も進め、特に近年では、停電時でも、夜間に目印になることを想定して、太陽光発電式照明灯などを整備した。
その他、昭和三陸津波から70 年目の節目である平成15 年3 月3 日に「津波防災の町宣言」を行っている。防潮堤があっても津波が越えてくるかもしれないというイメージを持ってもらうことに加え、「防潮堤等のハードにおごるな」、「教訓をいつまでも引き継いでいこう」ということを込めた内容となっている。

岩手県宮古市の重茂(おもえ)姉吉(あねよし)に建つ「大津浪記念碑」(IBC岩手放送が幾歳経るとも要心あれとのタイトルで放送し、第38回放送文化基金賞番組部門テレビドキュメンタリー番組の最高賞と なる「本賞」に選ばれた)
縦約1.5メートル、横約50センチの石に下記の文字が刻まれている

高き住居は児孫の和楽  想へ惨禍の大津浪  此処より下に家を建てるな
明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て 部落は全滅し、生存者、僅かに前に2人後に4人のみ 
幾歳経るとも要心あれ

今回の大津波もこの碑の下で止まった。 

田野畑ー久慈駅間で一部開通した三陸鉄道北リアス線ワンマンカーに1時間余りの乗車体験した。
事前予告通りに3回ほど景勝地では車両を止めてくれた、予告通りトンネルが多かった。                                     途中には津波に壊された防潮堤や建物が流された跡などが数カ所残っていた。  

北リアス線の田野畑ー宮古は2年後に全面復旧が見込まれ、釜石から盛りまでの南線は時期は未定だが復旧が決まった。
復旧がどの程度進んだか2年後に再度、訪ねてみたい。                        

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復興にこれまで使った国費(NHK放送)
平成23~27年 26兆円(インフラ・街作り14兆円、産業振興・雇用の確保5兆円、原子力災害からの復興再生資金3兆6000億円、被災者支援金2兆5000億円)
財源の一部に10兆5000億円の特別増税があてられた。
今後も平成28~32年に6兆5000億円が必要な見込みで、特別増税は平成44年まで続く見込みである。
今後は想定外の事象に適宜対応するために途中での見直しも絶対必要である。

この5年で人口減少・高齢化は想定以上に進んだ。

今後は予め、最低限この町として、どういうインフラが必要か、縮小・集約できるかを考慮しておくことが災害復旧に必要である。南三陸町町長
インフラ復旧整備だけでは街は復興しない、働く場所、コミュニテイ、商業サービスこういうものもあって初めて街ができる。
行政ができること、企業にお願いしたいこと、NPO・ボランティア・町内会のお願いしたいことの3っをどう組み合わせてゆくか、これが今後の日本を作ってゆく道だと思う(復興庁 事務次官)

2016年3月10日 警察庁緊急災害警備本部発表
死者 15、894人  行方不明  2、561人  負傷者  6,152人
家屋全壊 121,805戸  半壊 278,521戸
by hoshigarasu2 | 2016-03-12 10:59 |

八丈島、2泊3日のゆったりツアー② 0305

朝のホテル                                                                       映像クリックで拡大
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大坂トンネル展望台   手前は八丈富士、奥は八丈小島
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服部屋敷跡  徳川幕府献上絹(黄八丈)御用船の船預かり船奉行であった服部家の屋敷跡であり、庭園にそそり立つ八百年の大蘇鉄は、その昔、遠く南国より流人の仕役として移植せしもの、屋敷にめぐる玉石垣は、流人近藤富蔵が設計し、海岸より流人が1ヶづつ背負い上げて築いたものといはれ、往年の服部家の繁栄の程を偲ばせ、八丈唯一の流人史跡として有名です。
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樫立(かしたて)の手踊り  東京都無形民族文化財 江戸時代の流人や漂流者たちにより伝えられたと言われる各地の盆踊りを綴り合わせて一¬連のものとしたもので各地の民謡を次々唄い踊ります
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流人のやるせない 心情を太鼓の音に託した八丈太鼓
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裏見ケ滝
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黄八丈
八丈島に伝わる草木染めの絹織物。 島に自生する植物の煮汁で黄色、鳶色、黒に染められた糸を平織りまたは綾織りに織り、縞模様や格子模様を作ったもの。
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名物の島寿司  八丈島の郷土料理で、握りずしの一種である。
寿司種を醤油主体のたれに漬けてヅケにし、砂糖でやや甘味を強くした酢飯で握りに作る。この際、ワサビの代わりに「練りがらし」(粉がらしを練ったもの)を使うのが特徴である。醤油に漬けた刺身の色から「べっこうずし」とも呼ばれる。
島に水揚げされる白身の魚を中心に、鯛(メダイ、オナガダイ、アオゼ、キンメダイ等)、マグロ、カツオ、カジキ、シイラ、トビウオ、イサキ、カンパチ等を醤油漬にして使う。
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名古展望台
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登龍峠(のぼりゅう)展望台
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夕食
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降水量 0mm、 最高気温12時 19℃
by hoshigarasu2 | 2016-03-10 12:23 |

八丈島、2泊3日のゆったりツアー③ 3月6日

朝焼け・漁船
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朝、ホテルの廊下
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くさや製造元マルダイ水産 今朝上がったトビウオ                                               映像クリックで拡大
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ふれあい牧場展望台 八丈富士の7合目から、三原山と市街地を一望。空港、底土港、八重根港が全て見えます.
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八丈植物園                                                                       映像クリックで拡大
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地魚のなめろう《「皿までなめろ」の意という》
アジ・サンマ・イワシなどを三枚に下ろして細く切り、細かく刻んだネギ・青シソ・ショウガなどと味噌を混ぜて包丁でたたいた料理。                                                       

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              ヒロハケンチャヤシ                                      カナリーヤシc0183777_16144341.jpgc0183777_16113569.jpg
八丈島空港                                                                     
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降水量 0mm、 最高気温 11時 19.9℃

ホテル帰着16時過ぎ、夕食18時、翌朝食7時、ホテル出発9時過ぎと、ゆったりツアーだった。
初日は少し雨も降ったがその後は島名物の風も無く、のんびり旅行を楽しめた。
by hoshigarasu2 | 2016-03-10 12:18 |


極私的写真日記帳


by hoshigarasu2

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