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中山峠・豊浦・小幌・真狩周遊バスツアー 0605

羊蹄山巡り① 中山峠~豊浦
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羊蹄山巡り② 真狩~中山峠
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豊浦 いちご・豚肉祭り 箱売りのイチゴは途中で売り切れた、レンタルコンロでブタ肉・魚貝を焼いて食べたり、海辺でくつろぐ親子も目立った。
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日本一の秘境駅 「小幌」 駅番号H45

小幌駅はJR北海道室蘭本線(長万部~岩見沢、室蘭~東室)の駅で、北海道虻田郡豊浦町字礼文華にある。(Googleマップで見ることができる)
礼文華トンネルと新辺加牛トンネルの間に挟まれた四方のうち三方が急傾斜地、一方は海(内浦湾)に接しており、鉄道と船舶以外は接近が難しく、現在は近隣に民家がなく、駅から伸びている小道すらもない。

1943年(昭和18年)列車交換のための小幌信号場として開設され、旅客も取扱っていた、1987年(昭和62年)に小幌駅となったが定期的に乗降するのはJR保線要員だけだった、経営難のJRでは維持が難しく、2016年(平成28年)4月1日をもって小幌駅の管理運営は観光客維持増加を狙う豊浦町に引き継がれた。

全国から秘境駅ファンが訪れる豊浦町管理の無人駅「小幌駅」には駅舎や待合室はないが保線区詰所・倉庫、トイレ、列車の接近通過を伝える警報音と音声アナウンスが設置されている。

JR北海道の基幹線の一つ、室蘭本線小幌駅を通過する貨物列車は早朝深夜を含め一日中ある。
お客が乗降できる普通列車は現在6本だけである、上り(長万部方向) 08:38, 15:13, 17:39, 20:04 下り(東室蘭方向) 15:44, 19:46。

14:59JR大岸駅から乗車 15:13JR小幌駅到着 秘境駅JR「小幌」 滞在31分 15:44JR小幌駅から乗車 15:55JR大岸駅で下車
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15:09  JR小幌駅手前で、我々が乗ったワンマンジーゼルを撮る「撮り鉄さん2人」
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15:13  我々も大岸駅で乗車した長万部方向行上りワンマンカーは小幌駅から静狩駅に向け発車
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15:30 ここから危険なけもの道を20分ほど下った海岸にその昔「円空」がここで彫ったという「岩屋観音」が祀られている「小幌洞窟」があるそうだ。
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15:40  函館行き特急スーパー北斗14号通過
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15時44分 我々が乗車する普通列車が隣の静狩駅から小幌駅に到着
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by hoshigarasu2 | 2016-06-06 11:51 |

2010年7月25日オタモイ訪問記  再録 20160519

オタモイ海岸は小樽市の北西部にあり、高島岬から塩谷湾までの約10kmに及ぶ海岸線の一部で、付近には赤岩山(371m)など標高200m前後の急峻な崖と奇岩が連なっている.
一帯は昭和38年ニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定され、祝津・赤岩海岸とともに雄大な景観を誇り、訪れる人々を魅了している。

ところでこの景勝地に大リゾート基地が存在したことはあまり知られていない。

昭和初期、隆盛を誇った割烹「蛇の目」(小樽花園1)の店主加藤秋太郎は小樽には見所がないという知人の言葉に奮起し、名所探勝の日々にあけくれる。
そして、ついに、古来白蛇の谷と呼ばれたこの地を探し当て、昭和11年「夢の里オタモイ遊園地を」完成させた。
その規模は当代一を誇り、ブランコ,すべり台、相撲場等の遊園施設のほか、竜宮閣や弁天食堂といった宴会場や食堂を設けた。
特に京都の清水寺を凌ぐといわれた竜宮閣は切り立った岩と紺碧の海に囲まれ、まるで竜宮城のお伽の世界のようだったという。
最盛期には一日数千人の人々で賑わったこの施設も戦争が始まると贅沢とみなされ客足が遠のき、戦後、これからという昭和27年5月営業再開を目前に控えながら火災で消失した。

現在、遊園地の跡を偲ばせるものは断崖の上に残った竜宮閣の礎石と遊歩道トンネルの部分だけである。
また、オタモイには神威岬(積丹半島)が女人禁制の頃の悲恋にまつわる子授け地蔵尊の伝説があり、今でも多くの人々に信仰されている。
(小樽市 観光案内より)

①陸上からの眺め
駐車場へ降りる九十九折の急坂車道は思ったより道が良く、10時前なのに車の台数が多いのに驚いた。
駐車場から急坂を降りて竜宮閣の礎石跡に辿り着き、おっかなびっくり足元そして遥か遠方の古平方面を望む。
竜宮閣の礎石跡から細い遊歩道を下ってオタモイ地蔵を祭る場所に到着した。
お地蔵さんのお掃除に来ていた感心な孫・親・祖母の3世代家族の後について海岸まで降りる。
足元が定まらぬゴロ石上を岩に掴まりながら移動して、窓岩方向がが見える場所まで往復した。
浪シブキを避けながらのおっかなびっくりの歩行、安寿姫と厨子王みたいだった。
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②観光船から
小樽潮まつり最終日・快晴が重なったせいか、観光船は満員だった。
相変わらず船にまとわり付くカモメが多いが岩でハネを乾かすウミウの姿も目立っていた。
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久しい懸案の一つを解消できて嬉しい、総歩行数は6700歩だった。
by hoshigarasu2 | 2016-05-21 08:00 |

四国9名城巡り ④ 松山城・湯築城跡・今治城・徳島空港 0413

重要文化財 伊予松山城
松山市の中央、標高132mの勝山山頂に本丸があり、裾野に二之丸、三之丸がある日本有数の平山城。
天守は日本で最後の完全な城郭建築と言われており、最上階からは360度眺望がひらけ、松山平野や瀬戸内海などを見渡すことができる。
日本に現存する江戸期以前に建築された12天守( 弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、備中松山城、 松江城、丸亀城、宇和島城、高知城)の1つであり、21棟の建造物が国の重要文化財に指定されている。                              映像クリックで拡大
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戸無門
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天守閣
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天守閣からの眺め
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道後公園 湯築城跡
湯築城は、中世の伊予国の守護であった河野氏が南北朝期から戦国期(14世紀前半〜16世紀末)まで、約250年間にわたって居城としていました。河野氏は、風早郡河野郷(松山市北条地区)を本拠として勢力を伸ばした一族で、源平合戦(1180〜1185年)では河野通信が源氏方として功績を挙げ、鎌倉幕府の有力御家人となり伊予国の統率権を得ました。
 承久の乱(1221年)で没落するものの、通信のひ孫通有が元冠(1281年)で活躍し、一族の力が復活した南北朝期の通盛の時(1335年前後)に河野郷からこの湯築城へ本拠を移しました。その後、有力守護細川氏の介入や一族間の内紛がありましたが、足利将軍家と結びつき近隣の大内・大友・毛利氏などと同盟や縁威関係を持ちつつ、伊予の守護としての地位を確立しました。庶子家との争いも克服し、通直(弾正少弼)は、湯築城の外堀を築き(1535年頃)娘婿の村上海賊衆(来島通康)との関係を強化しましたが、後に離反し、一族の力は徐々に衰えていきました。最後の当主通直(牛福丸)は、全国統一を目指す豊臣秀吉の四国攻めにより小早川隆景に湯築城を明け渡し、平安時代末期から戦国期(12世紀末〜16世紀末)までの、実に400年の長きにわたる河野氏の伊予支配に終止符が打たれました。
※鎌倉時代に時宗を興した一遍上人は、河野通信の孫にあたります。
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黄色の植物は「黄金まさき」
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開戦前に必ず行われたいう連歌の模様、復元された城内の一室
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今治城
江戸時代初期に築城の名手・藤堂高虎が築いた全国的に有名な海岸海城です。
3重の堀に海水を引き入れた海城(高松城・中津城と併せ3大水城)、潮の干満で水位が変わり、海水魚が泳いでいる。
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鉄(くろがね)ごもん
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史上初の層塔型(各階を順次小さくして積み上げる)5層6階の天守
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天守から  瀬戸内しまなみ海道の来島海峡大橋
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徳島空港                                                                          映像クリックで拡大
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徳島発羽田行きANA284便16:15、羽田着17:30 羽田発新千歳行き19:00ANA77便、新千歳着20:35 
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by hoshigarasu2 | 2016-04-18 07:25 |

四国9名城巡り ③ 津野山・宇和島・内子・大洲城・松山・道後温泉 0412

6時、宿泊ホテル窓から高知城
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7時45分高知出発、ツアーバス車窓からとさでん交通路面電車
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高知郊外の田植えが済んだ稲田を高速道から
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津野山布施ケ坂道の駅・四万十源流の駅
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山口県の秋吉台、福岡県の平尾台に次ぐ日本3大カルストの一つ、四国カルスト天狗高原近くの当地でもお茶の段々畑が見られた。
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高知県高岡郡津野町高野 三嶋神社の秋の大祭で奉納される津野山古式神楽
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宇和島駅前通り
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宇和島城
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天守閣から宇和海を望む
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内子の重要伝統的建造物群                                                             映像クリックで拡大
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大洲城
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初冬の肱川嵐で有名な肱川を天守閣から見下ろす
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道後温泉
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坊っちゃんカラクリ時計は、道後温泉駅の正面(放生園)にあります。カラクリ時計は、道後温泉本館の振鷺閣をモチーフにした時計で、軽快なメロディにのって時計台がせり上がり、夏目漱石の小説「坊っちゃん」の登場人物が現れます。その横には足湯があり、いつも多くの観光客が利用しています。
■上演時間・・・8:00~22:00(1時間ごと)、特別期間は30分ごと。
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18時ジャストに時報としてからくり時計が作動していた
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by hoshigarasu2 | 2016-04-17 19:36 |

四国9名城巡り ②-2 金刀比羅宮・高知城・桂浜 0411

金刀比羅宮 海の守護神で1368段(御本宮まで785段)の石段からなり、御祭神は大物主の神で崇徳天皇を合祀している。影像クリックで拡大
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御本宮
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御本宮からの眺め
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第三十二回四国こんぴら歌舞伎大芝居 
中村翫雀改め 四代目中村鴈治郎襲名披露が日本最古の芝居小屋ー国の重要文化財ー金丸座で行われていた。       
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高知城
関ヶ原の戦いの功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊は、慶長6年(1601)大高坂山に新城の築城工事を始め、慶長8年(1603)に本丸と二ノ丸が完成、入城しました。
享保12年(1727)城下町の大火で追手門以外の城郭のほとんどを焼失しましたが、宝暦3年(1753)までに創建当時の姿のまま再建されました。
その後は、自然災害や明治維新による全国的な廃城の嵐、太平洋戦争など幾度となく襲った危機を乗り越え、「南海道随一の名城」と呼ばれる優美な姿をした建物を今に残しています。
平成15年には、築城400年、再建から250年を数え、本物の城の持つ偉容が訪れる人々を今日も歴史のロマンに誘っています。
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            山内一豊公                     山内一豊公奥方                      板垣退助 映像クリックで拡大
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桂浜・竜馬像 
高知県の青年有志が募金活動を行い,当時の金額にして2万5千円を集め建立。昭和3年5月27日午後2時,除幕式を行い姿を現した龍馬像。和服姿に懐手,ブーツ姿の龍馬は,はるか太平洋の彼方を見つめています。像の高さは5.3m,台座を含めた総高は13.5m。
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ひろめ市場。
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by hoshigarasu2 | 2016-04-16 16:33 |

四国9名城巡り ②-1 高松城・丸亀城 0411

史跡高松城跡
玉藻城とも呼ばれるが万葉集で柿本人麿が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因み、このあたりの海が「玉藻の浦」と呼ばれていたことによるといわれている。
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天守閣跡
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天守閣跡から高松港を望む
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丸亀城 
亀山城または蓬莱城ともいわれ、市内の亀山に生駒氏によって築かれたものである。
生駒親正は天正15年(1587)播州赤穂から17万6千石の領主として讃岐に入り、高松城を築き、次いで西讃の鎮めとして慶長2年(1597)から丸亀城の築城にかかり、同7年(1602)に完成したが、その後一国一城令により廃城となった。
生駒家四代の後、肥前国天草郡富岡城主から寛永18年(1641)入城した山崎家治が翌年から修築に取りかかり、現代の城郭はほぼこの時代のものである。
高さ日本一の石垣に鎮座して400年の歴史を刻む丸亀城、「石垣の高さ、美しさ」から、(財)日本城郭協会が選定した「日本の100名城」にも選ばれ、花見や散歩など市民の憩いの場として親しまれています。
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天守閣から瀬戸大橋・尾道方向を望む
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by hoshigarasu2 | 2016-04-16 06:54 |

四国9名城巡り ① 千歳空港から徳島城・高松栗林公園まで 0410

新千歳空港                                                                        映像クリックで拡大c0183777_536874.jpgc0183777_5362490.jpg
羽田空港
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房総半島
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和歌山白浜
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20年ぶりの徳島空港
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徳島城 阿波・淡路両国25万7千石の大名「蜂須賀家」の居城であった、阿波の青石と呼ばれる城壁で知られる。
吉野川河口付近の中洲に位置する標高61メートルの城山に築かれた山城と城山の周囲の平城からなる、連郭式の平山城である。
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表御殿庭園枯池自然石の橋 初代藩主蜂須賀至鎮公踏み割りの伝説がある
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高松栗林公園  高松藩の歴代藩主が百年余りの歳月をかけて完成した「栗林公園」は、ミシュランガイドで三ツ星を獲得した名園です。
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by hoshigarasu2 | 2016-04-16 05:37 |

小田原ー真鶴ー熱海  3029

                                                                               映像クリックで拡大c0183777_7152641.jpgc0183777_7154430.jpg
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by hoshigarasu2 | 2016-04-02 14:10 |

八丈島、2泊3日のゆったりツアー② 0305

朝のホテル                                                                       映像クリックで拡大
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大坂トンネル展望台   手前は八丈富士、奥は八丈小島
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服部屋敷跡  徳川幕府献上絹(黄八丈)御用船の船預かり船奉行であった服部家の屋敷跡であり、庭園にそそり立つ八百年の大蘇鉄は、その昔、遠く南国より流人の仕役として移植せしもの、屋敷にめぐる玉石垣は、流人近藤富蔵が設計し、海岸より流人が1ヶづつ背負い上げて築いたものといはれ、往年の服部家の繁栄の程を偲ばせ、八丈唯一の流人史跡として有名です。
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樫立(かしたて)の手踊り  東京都無形民族文化財 江戸時代の流人や漂流者たちにより伝えられたと言われる各地の盆踊りを綴り合わせて一¬連のものとしたもので各地の民謡を次々唄い踊ります
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流人のやるせない 心情を太鼓の音に託した八丈太鼓
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裏見ケ滝
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黄八丈
八丈島に伝わる草木染めの絹織物。 島に自生する植物の煮汁で黄色、鳶色、黒に染められた糸を平織りまたは綾織りに織り、縞模様や格子模様を作ったもの。
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名物の島寿司  八丈島の郷土料理で、握りずしの一種である。
寿司種を醤油主体のたれに漬けてヅケにし、砂糖でやや甘味を強くした酢飯で握りに作る。この際、ワサビの代わりに「練りがらし」(粉がらしを練ったもの)を使うのが特徴である。醤油に漬けた刺身の色から「べっこうずし」とも呼ばれる。
島に水揚げされる白身の魚を中心に、鯛(メダイ、オナガダイ、アオゼ、キンメダイ等)、マグロ、カツオ、カジキ、シイラ、トビウオ、イサキ、カンパチ等を醤油漬にして使う。
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名古展望台
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登龍峠(のぼりゅう)展望台
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夕食
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降水量 0mm、 最高気温12時 19℃
by hoshigarasu2 | 2016-03-10 12:23 |

八丈島、2泊3日のゆったりツアー①3月4日

                                                                               映像クリックで拡大 八丈島は、東京の南方海上287キロメートルに位置し、面積69.09平方キロメートルのひょうたん型をした島です。地形的には富士火山帯に属する火山島であり、南東部を占める三原山(700.9メートル)と北西部を占める八丈富士(854.3メートル)から成り立っています
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歴史民俗資料館
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陣屋跡
享禄元年(1528年)に、北条早雲の家来、中村又次郎が代官として来島し、此処に陣屋を設けた。江戸時代になると、幕府は此処を島役所とし、明治33年(1900年)には、東京府八丈島庁となり、島の政治の中心地だった。しかし、明治41年(1908年)には、島庁が他地区へ移転したため、今では、八丈島の政治文化の発祥の島庁が他地区へ移転したため、今では、八丈島の政治文化の発祥の地も玉石垣に残すのみとなった。c0183777_18135942.jpg
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ふるさと村       玉石垣と椰子に囲まれた敷地内に、母屋、馬小屋、高倉、閑所(トイレ)が移築保存されています。c0183777_20443153.jpgc0183777_20445581.jpgc0183777_204592.jpg
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小笠原タコノキ
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南原千畳敷海岸
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遊覧は4時半に終わったのでホテルの庭の蘇鉄(ソテツ)の実他を撮った。
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                   ストレチア                                        明日葉
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夕食 島焼酎「江戸酎」と明日葉ビールを飲んだ。
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47年前の11月23日大雪が降った札幌から八丈島を目指したが急な欠航で行けなかった、今回はそれを補う旅である。
by hoshigarasu2 | 2016-03-09 16:46 |


極私的写真日記帳


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