四国9名城巡り ④ 松山城・湯築城跡・今治城・徳島空港 0413

重要文化財 伊予松山城
松山市の中央、標高132mの勝山山頂に本丸があり、裾野に二之丸、三之丸がある日本有数の平山城。
天守は日本で最後の完全な城郭建築と言われており、最上階からは360度眺望がひらけ、松山平野や瀬戸内海などを見渡すことができる。
日本に現存する江戸期以前に建築された12天守( 弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、備中松山城、 松江城、丸亀城、宇和島城、高知城)の1つであり、21棟の建造物が国の重要文化財に指定されている。                              映像クリックで拡大
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戸無門
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天守閣
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天守閣からの眺め
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道後公園 湯築城跡
湯築城は、中世の伊予国の守護であった河野氏が南北朝期から戦国期(14世紀前半〜16世紀末)まで、約250年間にわたって居城としていました。河野氏は、風早郡河野郷(松山市北条地区)を本拠として勢力を伸ばした一族で、源平合戦(1180〜1185年)では河野通信が源氏方として功績を挙げ、鎌倉幕府の有力御家人となり伊予国の統率権を得ました。
 承久の乱(1221年)で没落するものの、通信のひ孫通有が元冠(1281年)で活躍し、一族の力が復活した南北朝期の通盛の時(1335年前後)に河野郷からこの湯築城へ本拠を移しました。その後、有力守護細川氏の介入や一族間の内紛がありましたが、足利将軍家と結びつき近隣の大内・大友・毛利氏などと同盟や縁威関係を持ちつつ、伊予の守護としての地位を確立しました。庶子家との争いも克服し、通直(弾正少弼)は、湯築城の外堀を築き(1535年頃)娘婿の村上海賊衆(来島通康)との関係を強化しましたが、後に離反し、一族の力は徐々に衰えていきました。最後の当主通直(牛福丸)は、全国統一を目指す豊臣秀吉の四国攻めにより小早川隆景に湯築城を明け渡し、平安時代末期から戦国期(12世紀末〜16世紀末)までの、実に400年の長きにわたる河野氏の伊予支配に終止符が打たれました。
※鎌倉時代に時宗を興した一遍上人は、河野通信の孫にあたります。
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黄色の植物は「黄金まさき」
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開戦前に必ず行われたいう連歌の模様、復元された城内の一室
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今治城
江戸時代初期に築城の名手・藤堂高虎が築いた全国的に有名な海岸海城です。
3重の堀に海水を引き入れた海城(高松城・中津城と併せ3大水城)、潮の干満で水位が変わり、海水魚が泳いでいる。
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鉄(くろがね)ごもん
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史上初の層塔型(各階を順次小さくして積み上げる)5層6階の天守
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天守から  瀬戸内しまなみ海道の来島海峡大橋
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徳島空港                                                                          映像クリックで拡大
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徳島発羽田行きANA284便16:15、羽田着17:30 羽田発新千歳行き19:00ANA77便、新千歳着20:35 
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by hoshigarasu2 | 2016-04-18 07:25 |


極私的写真日記帳


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