南サハリンを1日列車チャーターで観光、4日間の旅④ 最終日7月10日

8時ユジノサハリンクス ガガーリンホテル出発
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コルサコフ港へ向かうバスの中
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出国手続き後アインス宗谷に乗船
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10時半稚内に向け出港
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コルサコフ港から宗谷海峡に向かう亜庭湾内はかなり揺れたが湾を抜けて、宗谷海峡に達したら、アインス宗谷船員の言うとおり、揺れが納まった。
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13時50分宗谷岬を遠望する
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巡視船と礼文島からのフェリーの擦れ違い
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14時17分稚内港接岸作業
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14時23分稚内港到着 札幌への帰途は都市間バスを利用した。 16:40発ー(338km)ー22:30着 
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①今回のツアー参加者31人の内、5人ほどが樺太からの引き揚げ者ないし、親戚縁者がそうだったりしたようだ。
 大部分が引き揚げ後初めての樺太訪問で、引き揚げ時に着膨れて家族と乗り込んだ駅に降りたり、通過したが
 昔住んだ場所は遠く、実際に住んだ土地を踏めた人はトマリ(拍居)駅裏に住んでおられた一人だけだった。
 樺太から引き揚げ時の話は新聞・TV・雑誌・著作等で多少は承知していたが今回、直接ご本人からお聴きして大いに身につまされた。
 道新やUHBが今回のツアーに同行取材していたのでこれから報道がでるだろう。

②何処に行っても放置され、崩れ掛かった個人の住居跡が目立った、まるで空襲にやられたようだった。
 これまで満州・韓国・樺太を旅行したが住宅の傷みが一番ひどかったのが今回のサハリンだった。
 ペレストロイカ・ソ連邦崩壊での国家破産・全員失業が人民に如何に災害をもたらしたかがよく分かった。
 ノーベル平和賞を貰ったゴルバチョフへは、自分の事しか考えない得手勝手な男だとの非難の声が今でも多いそうだ。

③日本時代の役所・博物館の建物や公園の多くは再利用されているようだ。
  数多くの元王子製紙工場が今は廃墟となって沢山残っていた。
  神社仏閣は残っていないが参拝道の石段だけが豊原、真岡などに残っていた。
  さようなら、これが最後ですの真岡郵便局の建物は同じ場所に立て直され、郵便業務をしていた。

④乳母車に乳幼児を乗せ、公園で談笑する多くの母親の姿が目立った。
  日本では子供の代わりにお犬様が幅を利かせている。
  サハリン2の効果で生活が豊かになったように見えた、そのせいもあってかプーチンの評判が良い。
  敗戦後70年近くが経過した今、北方4島を含めたサハリン州の経済状況もじょじょに良くなり、北方領土返還は更に難しくなったように感じた。

⑤今回の通訳兼ガイドのエレーナさんは優秀で原野や庭に咲く花の名前も教えてくれて助かった。
 通訳と言えば社会主義時代の東ドイツの日本人ツアーに添乗する通訳は秘密防衛策の為か共産党幹部の子女しかなれず(フンボルト大学日本語
 学科に入学する学生は党の方針への従順さに応じて選抜された)、 しかも秘密警察員が監視に同行していたが今はそうしたことは全くなく、
 自由に質問ができて楽しかった。
 外貨獲得に大いに貢献した東ドイツの当時のマイセン窯総裁でも日本への商談訪問でもモスクワ経由・秘密警察官は常時付き、電話も盗聴されていた(後で西ドイツに亡命したマイセン窯総裁DR.フィフィテから聞  いた)

全員無事帰国できて良かったが観光中に傘を差すほどの雨は無かったが曇り勝ちで、遠景が見れなかったのが残念だった。
by hoshigarasu2 | 2014-07-15 20:54 |


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