南サハリンを1日列車チャーターで観光、4日間の旅② 264km鉄道乗車 7月8日

ツアー客31人乗車のサハリン鉄道貸切列車  08:30ユジノサハリンクス(豊原)発ー264km走破-16:35ホルムスク(真岡)着
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通路にはカーペットが敷かれ、それほど揺れないがトイレは走行時以外は鍵が掛かり、使えない(便壺が無い)
通訳兼ガイドのエレーナさんが今のユジノサハリンクス駅と昔の豊原駅と現在は狭軌だが広軌への改造も始まっている線路の写真を見せてくれた。 
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放置された住宅
1991年12月25日ソビエト連邦が解体され、独立したロシアでも全員失業・国営企業倒産、国中が荒れ果てた。
ノーベル平和賞を受けたソ連邦最後の大統領ミハイル・ゴルバチョフへは国民の怨嗟の声の方が多いそうだ。
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11時20分最初の一時下車駅「ヴィズモリエ(旧白浦)到着。
駅前の自由市場を見学し、1杯1500ルーブル(約4500円)のタラバ蟹を5杯買って列車内で全員で食べた、思わぬ珍味で美味しかった。
今回のツアーでご夫婦で参加された80歳越えの男性はヴィズモリエ(旧白浦)の浜で漁師をされていたそうだが全てを投げ捨てて引き上げられて以来、そこがどうなっているか情報は全くない、今回も訪ねることができないが引き揚げ時に乗った列車の駅を通る今回のツアーに参加されたそうだ。                                                                   クリックで小さい写真が大きくなります
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ヴィズモリエ(旧白浦)からイリインサハリン(久春内)のサハリンで一番狭いエリアに咲いていた花々、スカシユリ、ハマナス、コウリンタンポポなど。 
現地では何と言うのか知らないが月見草・センダイハギなども見えた。
酸性雨の影響か立ち枯れた樹木もけっこう多かった。 
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           トンネル通過                      通過駅の駅長さん               ブイヨンと肉まん(ピャンセー)       c0183777_6435247.jpg              
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13時40分トマリ(泊居)駅到着
ホームで「パンと塩」の振る舞いとアンサンブル・メンバーによる歓迎セレモニーを受けた。
28年ぶりに駅の向こうの草に覆われた旧宅跡地を訪ねた当てたメンバーの一人は溢れる悦びを全身で表しておられた、こちらも嬉しくなった。
一方昔このエリアから真岡経由の引き揚げ船で函館に上陸されたという姉妹の妹は引揚船で生まれたが直後に船上で母親が亡くなり、戸籍に出生場所記載がないという、父親もその後亡くなり、聞く手段もなくなった。
せめて一家が住んだエリアの空気を吸いたいと参加されたそうだ、お気の毒で言葉もでない。
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通訳兼ガイドのニーナさんに聞きました。
2004年10月10日にロシアで初めてサハリン州トマリ市に日系の市長が誕生しました。
ニシヤマ・ソウキチ新トマリ市長は1945年、サハリンで農業を営む日本人の両親の間に生まれ、ユジノサハリンスク教育大学を卒業後は地理の教師として働きました。
ペレストロイカ後にビジネスを始め、ジリノフスキー氏を党首とする自由民主党(右翼愛国主義政党である)に入党しました。
ニシヤマ・ソウキチ氏は自由民主党所属なので、北方領土返還には反対していたそうです。
2005年5月、脳出血によりユジノサハリンスク市内のサハリン州立病院にて60歳で死去しました。
ロシアが南樺太を実効支配して以来、日系人がロシアや樺太の地方で行政府の首長になることは、異例中の異例でした。

16時35分ホルムスク真岡)到着
敗戦後多くの方々がここから函館方面へ引き揚げられた。
引き揚船も出港したフェリーターミナルと間宮海峡を見下ろす『夕陽の丘」からの景観
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プリモリスキー公園
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旧王子製紙真岡工場  南樺太の主要駅には必ずと言うほど工場があり、今は朽ち果てたレンガの煙突と工場・倉庫が残っている。
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        元真岡神社参道石段                     レーニン公園                      子供                                                                            
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皆さん、これが最後です。さよなら、さよなら・・・」の悲しい言葉を最後に、昭和20年( 1945)8月20日、終戦5日後に、真岡郵便局で電話交換業務を終えた後、自らの若い命を絶った9人の乙女の魂が眠る建物は建て替えられたがほぼ同じ位置に郵便局として再建されていた。                                                                                                                           
by hoshigarasu2 | 2014-07-14 09:52 |


極私的写真日記帳


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