8/23~26日 がんばろう!東北 フェリーで行く買い出し・応援ツアー4日間⑤-8

宮古市制作のパンフレット                                              
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上図左端中ほどの高台の6の田老第一小学校脇に立つ「大海嘯訓令碑」の文面                               

        大海嘯記念
 大地震の後には津浪が来る
 地震があったら此処に来て一時間がまんせ
 津浪襲われたら何処でも此の位い高所へ逃げる
  遠くへ逃げても津浪に追付かる
 常に近く高い所を用意して置け
       昭和九年三月  

地元ボランティアガイドの道案内で廻った。

津波モニュメントとして保存が決まった「たろう観光ホテル」・3種の防潮堤・仮設避難住宅・田老第一中学は一番最後の映像。 映像クリックで拡大
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宮古市制作のパンフレット
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印象に残ったボランティアの言葉

お陰さまで私どもは今は元気に暮させて頂いております、全国の皆様からご支援を篤くお礼申し上げます。
田老には3種の防潮堤防があるがこれがある為に避難が遅れたとの説もあるが少なくとも津波襲来を遅らせた効果はあった。
死者・行方不明者は防潮堤の外に家がある人や避難後に再度家に戻った人に多くが発生している。
田老第一中学では地元出身の用務員の避難マニュアルの校庭では駄目だ、山へ逃げろとの指示で全員が助かった。
田老第一中学では日頃から「自分の命は自分で守れ」との防災教育がなされているが今回も生徒自身だけでなく避難してきた老人や幼稚園児を率先誘導して山へ登り、被害を食い止めた。
この善行は数日後幼稚園児が親に中学のお兄ちゃん・お姉ちゃんに助けられたと漏らして、初めて公になった。
「海より低い場所に家を建てるな」との教訓は今回も守られず、防潮堤の外の人の被害が甚大である。
田老は今は田んぼの田に老と書いているが昔は多老だった、津波などが多いに通じ、縁起が悪いと田に変えられた。

東日本大震災における津波対策の効果に関する実態について~宮古市田老地区の報告~(財)消防科学総合センター研究員小松幸夫

田老地区の津波被害
明治三陸地震 明治29 年(1896 年)6 月15 日 人口3,745 人 死者・行方不明者数1,859 人 0.50%
昭和三陸地震 昭和8年(1933 年)3 月3 日    人口5,120 人 死者・行方不明者数911 人 0.18%
東日本大震災 平成23 年(2011 年)3 月11 日 人口4,434 人 死者・行方不明者数185 人 0.04%
(注)人口については、明治三陸地震は明治22 年現在、昭和三陸地震は昭和7 年現在(当時の残っている記録で一番近い数字)。東日本大震災は、平成23 年3 月1 日現在。

田老地区における従前からの津波対策(防災教育・啓発)
田老地区ではそもそも防潮堤は津波を完璧に防ぐものでなく、避難の時間を稼ぐものとして位置づけられ、様々な啓発を行ってきた。
特に、平成16 年に完成した津波シミュレーションでは、明治三陸津波等を想定した津波が防潮堤を乗り越えてくる映像を再現し、住民説明会等で公表された。
さらに、この津波シミュレーションを活用して、自治会などを対象にした町歩きやワークショップを行い、住民を中心としたハザードマップづくりを行ってきた。

防潮堤は、昭和8 年3 月3 日に発生した昭和三陸津波を契機に建設が進められ、昭和32 年度までに1,350mが完成した。
明治三陸津波のときの波高15mよりも低い高さは10mで、津波が防潮堤を超えることを前提として、湾口に対して直角に防潮堤を造り、沢沿いに海水を受け流す(緩衝地を設ける)ことで避難する時間を稼ぐとともに、減災することを目指した。
その後、昭和35年のチリ地震津波を契機としてつくられた第2、第3 の防潮堤は湾口に対し並行に造られ、二重の防潮堤はX字型に完成し、総延長2,433mの大防潮堤となった。
また、昭和8 年から市街地は碁盤目状の道路整備を行い、町内どこにいても山に向かって真っ直ぐ避難できるような町並みと
なった。また、交差点の隅切りにより見通しを改善し、安全に避難できるようにした。
避難路や誘導標識の整備も進め、特に近年では、停電時でも、夜間に目印になることを想定して、太陽光発電式照明灯などを整備した。
その他、昭和三陸津波から70 年目の節目である平成15 年3 月3 日に「津波防災の町宣言」を行っている。防潮堤があっても津波が越えてくるかもしれないというイメージを持ってもらうことに加え、「防潮堤等のハードにおごるな」、「教訓をいつまでも引き継いでいこう」ということを込めた内容となっている。

岩手県宮古市の重茂(おもえ)姉吉(あねよし)に建つ「大津浪記念碑」(IBC岩手放送が幾歳経るとも要心あれとのタイトルで放送し、第38回放送文化基金賞番組部門テレビドキュメンタリー番組の最高賞と なる「本賞」に選ばれた)
縦約1.5メートル、横約50センチの石に下記の文字が刻まれている

高き住居は児孫の和楽  想へ惨禍の大津浪  此処より下に家を建てるな
明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て 部落は全滅し、
生存者、僅かに前に2人後に4人のみ 
幾歳経るとも要心あれ

今回の大津波もこの碑の下で止まった。
by hoshigarasu2 | 2012-08-28 18:20 |


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